担任している女子児童の親からの過度な苦情が原因で、不眠症に陥ったとして、某県某小学校の女性教諭が、その女子児童の両親に対し、慰謝料500万円を求めて地裁に提訴したとの報道が数日前よりなされている。その女子児童と同級生の間に起こったトラブルの対処に提訴に至った原因があるよう。
 提訴した側の言い分に偏った記事である為、詳細の程は良く分からないが、保護者の対応におわれ、教師が教師としての職務を遂行出来ない原因がそこにあるとするならば、このような提訴はあっても良いと考えている。精神疾患に起因する教師の辞職者・休職者が増加しているという社会的問題に対して、この提訴が、一石を投じるものになれば良いのではないだろうか。そうなれば、キャリアも有り、かつ、有能な教師の復職に繋がったり、教師を志そうと考えている次世代の若者の励みにもなるのではないか。
 SSWの活動において、生徒の保護者と向き合わなければならない時がある。その際に「○○してくれないから〜」を筆頭に、あまりにも身勝手と思われる親の理論を幾つか耳にしてきた。個人的な考えになるが、教育という現場(塾は除く)においては、一般企業等にあるようなサービスの理念を持ち込むべき職域ではない。どのようなことがあっても学校はサービス業であるという括りに考えてはいけないと思う。「教えを請う立場」であるものが、「客としての立場」に立ってしまっていることに一番の問題があるように考えている。
 話が逸れてしまったが、被害に合った女性教師は学校側や教育委員会・文部省がどの様に言ってこようと、きちんと提訴し、法廷でその真実を明らかにするべきだと思う。そして、後に続く教育者、そして子供達の未来の為に、敢えて問題を提起してくれたのだと社会は考えるべきである。このような裁判こそ、裁判員裁判で民意を問い、問題の原因と教育現場における実態を社会全体で受け、改善に向けた取り組みが図られる必要があると思う。

 昨日行われた民主党大会の様子が各報道番組等にて取り上げられていた。菅総理は、消費税などの税制と社会保障の一体改革に向けた与野党協議を行いたいと常々思っているらしく、この党大会において、「野党が積極的に参加しようとしないなら、歴史に対する反逆行為と言っても言い過ぎではない」等と勇ましく述べる様を何回も目にした。
 自分の能力が足りないのか、正直言って、菅総理の言葉の意味が分からない。歴史とは、一体何に対する歴史なのか。種々の理由に基づく審議の拒否が本当に反逆行為に該当するのか。これは自党が行ってきた行為や主張のみが正しく、他党や不支持者達の行為や主張が間違っているという理論に基づき発せられた言葉としか捉えようがない。まさに独裁的かつ抑圧的思考が曝け出された瞬間だったのではないだろうか。
 この総理の考えに基づけば、自分を含め、現政権を支持しないという8割近くの国民がめでたく反逆者に該当する。「国民が自分の話に耳を貸さなくなった」等、この人の前の総理もそうであったが、妄言というべきか、響きだけで何となくそれっぽく感じるような無意味な言説をこねくり回し、国民を混乱に陥れる。牽制球や隠し玉等のトリックプレーはいい加減に止め、正々堂々、バッターに向かってボールを投げ込んでみろと言いたくなる。
 マニフェストの反故は支持者に対する反逆行為。外国人に対する参政権の付与は国民主権への反逆思想。大体にして自民政権下に、訳のわからない理由による審議拒否を繰り返していたのは一体どこの政党だったか。自分達が野党時代に散々やってきた事も忘れる程、空っぽな空き缶総理に日本を託さなければならない現状がもどかしくてならない。民主党政権が将来の日本の黒歴史にならぬうちに、さっさと解散総選挙を実施せよ。

 タイガーマスクの主人公・伊達直人あしたのジョーの主人公・矢吹丈等を名乗る方々から児童養護施設等への贈り物が全国各地で広がっているよう。首都圏だけではなく、昨日はここ富山県でも「善意の贈り物」があったようである。自分には到底真似の出来ない事であるが、このような善意の連鎖が続けば良いと思っている。
 「自助・共助・公助」、自助・共助の意識が低下し、公助への過剰依存が見られる社会において、自助・共助が前提にある社会を取り戻そうとする動きに、何か胸を打たれる。このような方々の何分の一かでも良いから、気持ちや行動を見習わなければという思いが湧いてくる。無縁社会だといわれる御時勢であるが、日本人の根底には、人を思いやるという精神が今も残っているのだということを良く理解することが出来た。
 昨年の尖閣諸島中国漁船衝突事件のビデオ流出を筆頭に、タイガーマスクからの贈り物と、個人で今の社会に一石を投じようとする人が顕在してきたように思われる。これはやはり閉塞的で生き難い社会を変えたいという機運の表れであったり、現政権への皮肉や批判であったりするのではないかと考えている。
 「直人」は「直人」でも違う「政治屋の直人さん」や友愛を語ったあの政治屋さんは、この現象をどう捉えているのだろうか。人々が求めているものは、でたらめな政治、無節操な施しやバラマキの政策ではなく、自助・共助・公助に基づいた日本社会の再生なのではないだろうか。
 余談になるが・・・。
 実名では出来ない善意の行動も、自分を正義のヒーローに置き換えることで実行に移す事ができる。不器用なのか、控え目なのか。日本の文化というべきものか、日本人のアイデンティティーというべきものか良く分からないが、日本という国を再度見つめなおしていくと本当に素晴らしく面白い国である。

 厚生労働省が1月1日付でまとめた昨年の人口動態統計年間推計によると、日本人の死亡数は出生数を12万3000人上回り、4年連続の自然減であったらしい。12万3000人という自然増減数は、統計資料が残る1947年以降で最大の減少幅であるとのこと。少子高齢である社会の現状を考えれば、今後も人口減少は加速していくものと思われる。
 死因別の死亡数は、「悪性新生物」が35万2000人で最も多く、これに「心疾患」18万9000人、「脳血管疾患」12万3000人が続くという。死因別死亡数の並びは、毎年ほぼ変わらないようである。ちなみに年間3万人もの人が自殺していることも忘れてはならない。
 イギリスやフランスの人口が概ね6000万人だということを考えれば、今の日本の人口1億2500万人が適正だとは思えなくなる部分もある。減少することが悪い事だとも捉えられないし、減少することはある意味自然な形だと思われる。寧ろ、ここで問題になるのは、人口(労働人口)は増加していくものとの前提で策定された社会保障社会福祉なのではないだろうか。
 このような問題を解消するための代替案として、1000万人規模の移民計画というものが挙げられているようだが、これには同意できない。これはあくまで利益を得ることだけに執着した経団連の意見だろう。「人件費の安い外国人」を日本で雇う方が安上がりなのは理解できるが、これでは国民全体の利益には繋がらない。ましてや、移民手当等、訳のわからない余計なバラマキが増えるだけのような気がする。
 昨日、首相が公言した「安定した社会保障制度の構築」そして「消費税を含めた財源確保」が場当たり的発言(No Plan)でないことを祈るしかない。

 一昨年、昨年の正月と違い、今年の正月は良いことなのか悪いことなのか精神的に「のんびり」と過ごせたような印象がある。大掃除をして、初詣へ行って、嫁の実家へ行って、箱根駅伝等のテレビを観て、子供達と遊んでと、恐らく何処の家庭にもあるような過ごし方だろう。しかし、この精神的「のんびり」が自分にとって良いことなのか悪いことなのか自分には全く分からない。
 一昨年・昨年はプライベートにおいて、親子共々「高円宮賜杯全日本学童野球県大会優勝」等と、明確な目標があり、かつ予選まで残り5ヶ月と時間の設定が為されていた。その為、年末年始は関係なく、ただひたすらに目標を追い続けていた。今年はそのような明確な目標が長男にも自分にも特になく、かつ時間に追われるということも特にない。今までと異なり、自分の時間を持てるようになったし、考える時間を得ることができたのだろうが、それが自分にとって有意義なものかと言われるとやはり何か違うような気がしてならない。
 正月だろうが何であろうが、やはり「のんびり」過ごすことが自分の性には合っていないのだろう。常に何か目指すところがあって、日々時間に追われて過ごす方が、精神的にも張りがあって良い生活が送れる。PTA役員、黒部市少年野球協会事務局、スポーツ少年団等々、ここ数年は本当に忙しかったが、長男を通して得られるものによって、プライベートにおいて充実した時間を過ごすことが出来ていたのは確かである。
 この先、長男から得られるものがあるのかどうか分からない。また、長男の目標を何処までバックアップしてやれるかは分からない。恐らく、これ程迄に目標や時間を共有することはないだろう。今年はいよいよ中学生となり、新しい環境のもとで、新しい生活が始まり、新しい野球を覚え、新しい意義を持って日々のトレーニングに励むことになる。体力を付ける為、試合に出場できるようになる為、上級生に迷惑をかけないようにする為、チームを引っ張っていく為と、約5年間、何かしらの意義を見出し一緒になってトレーニングに取り組んできた日々が懐かしく思われる。明確な目標ではないが、今日も明日も明後日も、長男の横に並んで走れなくなる日が来るまで一緒に走りたいと思う。
そうなる前に、自分の目標と自分の時間の使い方を見つけなくては・・・。

 一年とは本当に早いもので、あと数日で2011年になる。
 年の瀬になると思い出すのは、一昨年前の年越派遣村、そして、昨年のワンストップサービス等が挙げられる。あれだけ騒がれた問題が、この年の瀬になっても浮上してこないのは、雇用や関連するセーフティーネット等の構造的な問題が密かに一通り解決したからなのだろうか・・・。
 そう考えていたところ、政府は失業者に対する年末緊急職業相談を29、30の両日、11都道府県の19カ所のハローワークで実施すると発表したようである。職業相談や紹介の他、住居を失った失業者への住宅情報の提供なども実施するとのこと。完全失業率が5%台に高止まりしている厳しい雇用の情勢を考えれば、当然と言えば当然の措置であるのかもしれない。
 「一に雇用、二に雇用・・・。」と勇ましく言っていた方もおられたが、具体的な雇用対策は特になく、農業や介護・福祉分野の人的補充を例に挙げるのみだったような記憶がある。外貨を稼ぎ、税収を上げていかないと、それこそ税に頼る部分の大きい介護・福祉分野は成長を維持出来ないのではないだろうか。最近になって、法人税の引き下げを打ち出したが、それだけで雇用の拡大が図れるとは思えない。
 中国へのODA朝鮮学校無償化・子ども手当等。現政府は緊急に取り組むべき政策、そして、お金を投入すべき部分を間違えている。「一に雇用、二に雇用・・・。」と言ったのなら、くだらないことは中止し、雇用問題にもっと本腰入れて取り組まないと、この先もっと大変なことになるだろう。『政権交代が最大の景気対策』と言っていたことが、そのままそっくり自分たちに返ってきていることをいい加減に気付け。

 昨日の新聞にて・・・。
 東京都内で行われた首相と(首相の)支持者との年末交流会において、菅首相は「これまでいろいろあったが(首相就任から半年間の)仮免許を経て、これからが本番だ。自分がやりたいことを出していきたい」等と挨拶したとのこと。
 「仮免許」とは、一体何?
 「仮免許」の分際で、政治主導とか言っていたのか?
ウケを狙って言った言葉なのか何なのか真意の程は分からないが、一国の首相が軽々しく口にして良い言葉ではないだろう。小学生である長男なんかが、負け惜しみで、『俺、今日、本気出してねーし』と言うのと全く同じレベルではないか。危険な車に同乗したくもないのに無理やり同乗させられている国民の気持ちを考えたことはあるのか。国民を愚弄するのも本当にいい加減にしてほしい。
 この人が「仮免許だから・・・。」と軽く考えている間に、日本という国がどれだけ道路脇の縁石に乗り上げ、どれだけ物損事故を起こしたか分かっているのか。もしかすると何処かで命に関わる人身事故なんかも起こしているかもしれないだろう。左にハンドルを切ることしか教えない仙石教官が助手席に乗っている為、仕方のないことなのかもしれないが、それでも運転適性を欠いていることに違いはない。
 来年1月の通常国会には、議員バッチの代わりに、教習中/練習中という札を胸に下げて登院することをお勧めしたい。しかし、ものは考えようである。今が「仮免許」ということならぱ、近い将来に解散総選挙という卒業検定をきっと受けてくれることになるのだろう。その際には、是非、2種免許若しくは国際A級ライセンスを持ったエキスパート首相の出現を望みたい。
 先週土曜日より、自分の車の事で、少しナーバスになっている為、3割増しの手厳しさで書かせて頂きました。