先日、長男が通う小学校において、小学校生活最後の授業参観が行われたようである。小学校生活最後の授業参観ということで、通り一遍の授業参観ではなく、総合学習というコマにて行われたようである。家の方々に対する感謝の気持ちを文に綴り、児童一人一人が教壇の上に立って、そこで読み上げる内容であったらしい。
 長男は「野球に没頭出来る環境を作ってくれた」ということを主体に感謝の気持ちを綴ったようである。怪我や病気をしない丈夫な体に産んでくれた母親への感謝。朝早く起きて弁当を作ってくれたり、普段の食事に気を配ったりしてくれた母親に対する感謝。泥だらけになったユニホームをきれいに洗ってくれた母親への感謝等々・・・。
 父親は授業参観に絶対来ないという前提のものであったとしても、父親なんていうものは所詮そのような扱いを受けるものなのかと思ってしまう。困った時にいつも相談に乗ってやったのは一体誰だ。毎日の自主練習に今でも付き合っているのは一体誰だ。野球の理論と細かな技術を教えたのは一体誰だ・・・。
 何だか寂しい気持ちで一杯になるが、野球という側面においては、長男を褒めたりした記憶が無いので、思えば確かに「感謝」には値しないだろう。父親が作文の中に登場してこないことも何となく納得できる。中学校・高校・大学と、この先何処まで野球を続けたいと考えているのかは分からないが、野球を少しでも長く続けたいと思っているなら、母親への感謝だけはこの先も忘れないで持ち続けてほしい。父親は「出来て当たり前だと思うから褒めない・もっと出来るはずだと思うから一段高い要求をする」という考えをもった絶滅種に近いタイプの父親なので、この先も褒めたり優しくしたりすることはないだろうから・・・。