宮城・石巻市で3人が殺傷された事件の裁判員裁判で、仙台地裁は被告の少年に「死刑」を言い渡したとのこと。裁判員裁判での死刑求刑はこれで5例目となる。少年が「被告」の裁判員裁判において、「死刑」というが判決が言い渡されるのは今回が初めてのことだそうだ。
 この事件で裁判員を務めた男性の方が、記者会見という場において、苦しい胸の内を語っておられる姿を昨日からのニュース等で何度か見かけた。やはりこのような事態に耐性の無い我々一般人では、人一人の命を奪う決断は荷が重すぎると思う。何が正義で何が悪か等々は、絶対的基準がない限り、個人の物差しで測れるものではない。自分と他人との価値観の相違に真正面から向き合う覚悟がない以上、裁判員を引き受けてはいけないということだろう。
 国民にこれだけの精神的・時間的負担をかける裁判員制度とは、本当に必要なものなのだろうか。今後も裁判員裁判を行うなら、このような死刑を求刑されるに値する事件に関する裁判以外に限定するか、裁判終了後の精神的ケアを含めたサポート体制を万全にするか等の工夫が必要なのではないだろうか。
 しかし、この裁判員裁判とやらは、何時頃から裁判員が「顔出し」の記者会見を行うようになったのだろう。裁判員裁判が、どのような判決を出そうとも報道は結果と過程だけ報道し、記者会見という「場」をわざわざセッティングしてまで、裁判員に心情や思想等を語らせるべきではないと思う。心情や思想を語らせる「場」にしたいのならば、「顔出し」は無しにしなければならないのではないか。男性の言葉一つ一つに同調しつつも違和感を感じた人は恐らく他にもいるだろう。マスコミの方々は、この記者会見を通して何を国民に伝えたいのだろうか。ただ、聞くだけで終わってしまうような行為であれば、今後、このような記者会見は本当に慎んでほしい。