数日前の新聞にて・・・。
 自民党の新人某参院議員が参院厚生労働委員会で、子宮頸がんにかかって子宮を摘出した経験に触れ、「女性にとって最も大切な、子供を産むという機能を失ってしまった」と述べたことに対し、「女性は子供を産むためにあるような表現で不適切だ」と批判した与党議員がいたようである。それを受け、与党理事は近く某参院議員へ注意を行うよう野党理事に求めるとのことである。
 子供を産むことは、女性にとって最大の義務ではないのだろう。しかし、一人の子供が欲しい女性にとって、子供を産むための体はとても重要なものなのではないか。機能を失ったという体験談のどこに問題があるのか、さっぱり分からない。
 このようなフェミニストにとっては、女性しか持ち得ない生殖機能そのものも女性差別の対象となるのか。逆に、フェミニスト自身がこの種の物事を差別的視点や偏見でしか判断していないから、このような捉え方しか出来ないのではないかと感じる。自身の発言や思想そのものが、女性差別である事を自覚していないのではないだろうか。
 「女性が子供を産む」という類の発言に対し、必ず「女性は産む機械」ではないと反論するフェミニストは多いが、子供は女性にしか産めない(それを決めるのは女性だが)という事実はどう頑張っても変えようがない。男性が子供を産むことなんぞ、天地が引っ繰り返っても出来ないのである。少子化がこれだけ進み、国存亡の危機が近い将来あるかもしれない時に、わざわざ「子供を産む」という言葉に過剰反応し、禁句扱いにするのは、ナンセンスだと思う。それこそ、「個」の益のみ考え、「全体」の益は何も考えていないエゴイストの発言ではないだろうか。こんな議員に日本国民の血税が注がれていることに本当にウンザリする。