2010年のノーベル平和賞に、中国の民主活動家であり作家でもある劉暁波氏が選ばれたとのこと。現在、彼は政治犯として服役中の身であるそうだ。ノルウェーノーベル賞委員会は今回の授賞理由について、劉氏が1989年の天安門事件に参加したことや、2008年に中国共産党の独裁を批判する08憲章を発表したことなどを挙げている。中国の基本的人権確立のため、長年、非暴力闘争を行ってきた経緯を評価したようである。
 これに対する中国外務省の行動は、またまたお得意の恫喝だったようである。先の尖閣諸島漁船衝突事件においてもそうであるが、中国という国は、一体どのような目線で国際社会を眺めているのか疑問に思う。恫喝や冒涜が国際社会への侮辱であることに気がつかない訳ではないだろう。最近の中国は対話を無視した暴論が目立ちすぎる。
 共産党独裁国家の横暴がこの先も増長されるようであるなら、そして、中国の成長は一国だけで成し遂げたものではないことを理解できないならば、

  • チャイナリスクを考慮した国外企業の撤退⇒失業者の増加⇒経済の崩壊
  • 国際社会における孤立⇒民主化運動の再勃発

 このようなことが起こるかもしれない。仮に上記のことが起こったとしても中国共産党側に付く国があるかどうか分からないだろう。もしかすると、ソビエト連邦崩壊以来の歴史的変化の幕開けが、そう遠くはない未来に起こるかもしれない。
 しかし、こういう時に黙ってしまう日本政府及び政権与党民主党には本当に腹が立つ。現政権の掲げる外交とは一体なんなのかと思ってしまう。劉氏に重ねて身柄を拘束されている某企業の社員に対する釈放要求声明を出すべきではないのか。尖閣諸島漁船衝突事件の証拠ビデオを公開し、一気にかたをつけてしまうべきではないのか。「配慮」という誤魔化しばかりでは、「中国」という特異国家には通用しないことぐらいは分かるだろう。欧米諸国とこの機に足並みそろえないなら、今後、中国とどの様な付き合い方をしたいのか、日本国民に対し明確に説明をすべきである。どうも日本政府及び民主党は召使いのように中国の顔色をうかがっているようにしか見えない。