昨日、東海地方の病院に脳血管障害で入院していた50代女性が、7月に改正された臓器移植法に基づく脳死との判定を受け、家族承諾による3例目の脳死下臓器提供に至ったとのこと。家族は、「誰かの役に立てたい。体の一部がどこかで生きていてくれたらうれしい」との理由で臓器提供に同意されたようである。
 家族がどのような思いで、この結論に至ったか。当事者ではない為、家族の気持ちを全て理解することは出来ないが、家族に判断させるという精神的負担を極力与えない為にも、臓器提供に関する意思表示は、元気な内より必ずしておくべきだと強く感じた。
 その一方で、ここ最近のこの流れ(本人の臓器提供意思が明らかでないケース)に関し、家族同意のみで脳死下臓器移植事例が続けて起きていることに表現の仕様のない違和感を感じる。そう感じているのは果たして自分だけなのだろうか。「人の為に・・・。」などという善意の押し付け(強要)が、既に始まっているのではないかという疑念をどうしても何処かに感じてしまう。
 批判を覚悟で個人的見解を述べれば、「家族の同意があれば可」という前例を作るべきではなかったのではないだろうかと思っている。物事が済し崩し的に既成事実化され、「死」というものが簡単に捉えられてしまうようなことが、この先おこってくるのではないかと考えてしまう。生きてる側の都合一つで「死」の定義を変え、「死者」の権利を犯すことがあってはならないはず。移植ありきの脳死判定など絶対に許されるものではないだろう。