スクールソーシャルワークを通して・・・。
 不登校生徒等に対する活動を始めて約2年が経過した。活動に充てられる時間が限られている為、多くのケースを見て、何かを悟れたという訳ではないが、関われば関わる程、「不登校」という事象についての解釈が揺らいでいくのが自覚できる。
 何らかの心理的・情緒的・身体的あるいは社会的要因や背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にある為、年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたものという定義については概ね理解出来るが、それだけでこの事象を括ることは到底出来ない。
 「不登校」という言葉が適切なのか、「登校拒否」という言葉が適切なのか。また、「問題行動」として捉えるべきものなのか、「行かないという選択」として容認すべきものなのか。分からなくなり過ぎて、先ずこの辺りの解釈から躓く。誰の立場に立って物事を考えていくかによって、この辺りの視点の付けどころ、そしてその後に発する自身の言葉も自身の行動も変化していく。
 心因性の病気、虐待等の家庭の問題、保護者の考え方や事情による意図的な長期欠席、LD・ADHD等の発達障害、非行等、学校に行けなくなるには、それなりの要因があることは定義の上、加えてケースを通して理解することが出来ているはず。しかし、上記のような要因があるからといって、要因に該当する全ての児童生徒が学校に行けなくなっている訳でもないだろうし、学校に行けなくなっているからといって何らかの要因が必ずしも根底にあるという訳ではないような気もする。福祉の専門としての視点が、逆に物事の本質を見難くしていることはないだろうか・・・。
 これらを悟り、整理出来るまでにはかなりの時間を要するだろうが、学校に行く事が最終の目標ではなく、児童生徒が、自分の進路について主体的に考えることが出来る様、社会的な自立に向けて支援をしていくという考え方だけは揺るぎがないようにしていかねばと、昨日、ある方と議論し、改めて思った。