就職支援だけでなく、生活保護や住宅支援など失業者が抱える問題の相談窓口をハローワークに集めて対応する「ワンストップ・サービス」が本日、17都道府県の77か所で試行される。現状、求職はハローワーク生活保護は福祉事務所、公営住宅など住まいの相談は各自治体等と窓口が分かれている。失業者が受ける「たらい廻し」感を少しでも解消する為の試みだそうである。
 窓口を一つにし、手続きに掛かる手間を省こうとする試みは社会全体にとっては良い事なのかもしれない。しかし、個人として云わせてもらえば、そこまで「与えて」やらねばならない社会に強い違和感を覚える。そこまで、時間と労力の効率を配慮し、提供してあげなければならないものだろうかと思う。効率の良いシステムを作り、無駄を排除することは確かに必要だと思う。しかし、安易なシステムを創ることによって、人の持ちうる能力や、義務・権利は一体どうなってしまうのかという不安を覚える。
 現政権が良く持ち出す「無駄削減」や「一元化」という言葉は、説得力があり本当に格好良い言葉に映る。しかし、この言葉への追従を他の何より優先させて行うことは大変危険な事であることが昨今の事業仕分けの様子を見て分かっただろう。現状下、無駄な努力や無駄な投資に映ったとしても、それが「将来への投資」、「将来の財産」に繋がることだって幾らでも有り得る。目先の物事に捉われすぎると、物事の本質そのものが見えなくなる。
 この件に置き換えて意見を述べれば、救済を受けたいのであれば、各窓口を廻る等、それなりの努力・義務は果たすべきであろう。努力・義務を履行するから、権利が発生するという社会はこれから先も守るべき社会であると考える。与えられることばかりを増長させ、権利ばかりが先行するような最近の社会は、いずれ国家の衰退に繋がっていく。
 最後に一言だけ・・・。
 弱者救済を否定するつもりは更々ない。大量の失業者が見込まれる現状を考えれば、失業者の保護を打ち出すのは仕方ないことだと思う。これが、景気対策・雇用対策とセットで出てくるものならば、ここまで激しい批判はしなかったのだが。