一旦ブログの終了を宣言しましたが、時々、ガス抜きの為に再びブログを活用させて頂くことにしました。メインのブロガーさん達の邪魔にならない程度に不定期で更新していこうと思います。
 では、さっそく・・・。
 昨日、病棟の朝のスピーチでも話をしたが、最近、新聞等の活字について、気になっていた事があった。「子供」ではなく「子ども」や「障害者」ではなく「障がい者」という表記の仕方が何となく気になっていた。数日前の某新聞に表記の理由が取り上げられており、「供」も「害」も双方の権利を損なうイメージがある為、ひら仮名での表記になっているという理由らしい。
 このような漢字表記に限ったことばかりではなく、運動会等にて優劣が付くのを嫌い、皆で手をつなぎゴールさせる学校現場の存在。某人気グループの歌にもあったような、ナンバーワンよりオンリーワンを良しとする考え。人権擁護や権利主張、平等を否定するつもりはないが、社会主義的思想があまりにも行き過ぎ、とても生き難い社会が形成されているような気がしてならない。
 長男の属するスポ少においても、つい最近、これらの思想に毒された要求をしてくる親がいた。自分の子供が試合に出さしてもらえない事に不満があるとのことである。その親の不満は理解できないこともない。しかし、その権利を主張できる立場に己の子があるかどうかをよく考えてもらいたい。長男のチームは、黒部市で、富山県で、全国で、ナンバーワンになることを目標にしている。その為、試合に出る選手はリスクやプレッシャーに耐え得る技量を獲得すべく、それなりの代価(犠牲)を払いながら試合に臨んでいるのである。権利を主張したければ、先ず、試合に出ている選手以上の代価を払うなり、義務を履行するなりすべきではないのか。
 子供と一緒になって権利を主張することが親の払う代価ではないだろう。子供と真剣に向き合い、試合に出れるようになる為にはどうすれば良いのか、一緒になって考えてやる、時には練習のサポートをするのが親として払う代価である。長男なんかは、3年生の時に掲げた目標に対し(県下ナンバーワンのショート)、今もどれだけの代価を払っているか、自分も長男と向き合う為に一体どれだけの代価を払ってきた(これからも払っていく)かを理解してほしい。それでも、過去、試合に出れないからと文句を言ったりしたことはない。ましてや僅かな代価しかを支払っていない内(野球を始めて半年にも満たない内)に・・・。
 権利は誰にも平等に与えられるべきものであるが、権利の主張は代価の支払い、義務の履行とワンセットであることを忘れてしまうような社会であってはならないと思っている。