昨日、「介護疲れ」から寝たきりの妻(60歳)を殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた夫(63歳)に対する裁判員裁判の判決が行われた。「真摯な愛情から13年に渡り妻を介護し、疲労が蓄積していた」等、被告の事情もしっかりと考慮し、懲役3年、保護観察付き執行猶予4年の判決を言い渡したとのこと。
 介護をする側にしても、介護をされる側にしても、今の日本で老いを迎える事が本当に不安でならない。高齢社会と言われる折、社会構造・社会保障を現状のまま放置し続けると益々この手の事件が増えてくる事が予想される。不謹慎な言い方かもしれないが、情状酌量ができるこのような事件を見据え、裁判員裁判を始めたのではとも考えられる。

  • 収入も少なく、介護施設に預ける事も出来ない・・・。
  • 寝たきりの人間を、一人にして、気ままに外出する事も出来ない・・・。
  • 献身的に尽くせば尽くす程、盲目的になり、追い詰められる・・・。
  • 毎日が大変すぎて、こんな事ならいっそ心中しようかと考える・・。

 介護を苦にしたような事件・犯行は、ある意味、社会構造や社会保障制度の歪みが生み出した犯行だけに、社会の構成員である我々も含めた、社会全体の責任という側面もあると思う。しかし、その反面、社会が良かろうと悪かろうと、法を犯す正当な理由にはならないという思いもある。被告が「国が悪い」、「行政が悪い」、「福祉が悪い」等、他への責任転嫁をしなかった事はまだ救いであろう。切ない思いはあるが、被告は、被告として刑に服し、妻とは一定の距離を取ることで、介護に対する気持ちの整理、抱え込まない程度の距離感を覚える必要があるのではなかろうか。
 家族親族・地域社会・福祉行政等、このケースには恐らく関わってきた方々が多くいるはず。頼るべき所が本当に無く、このような事件を起こしたとしたら、福祉のサービスや福祉に関わる我々とは、その方にとって一体どんな存在に映ってみえたのかと考えさせられる。