本日8月28日は、長男の11回目の誕生日である。
 深夜1時頃に妻の陣痛が始まり、慌てて病院へ駆け込んだ。それから6時間近くも待たされ、朝7時丁度にようやく誕生した。誕生したばかりの長男の顔を見て、嬉しさと安堵感と眠れなかった事に対する疲労感とで、何が何だか分からない状態になっていたことを思い出す。
 あれから、はや11年が経過した。
 どんな子供になり、どんな将来を歩むのかという不安は尽きないが、此処までは父が願うような道をたどってくれている。ただ、この先については分からない。未だ未だ先の話だとこちらが思うことも本人にとっては近い将来と思うことがあるようだ。ここ最近、こちらが少し懸念していた事がある。昨日の晩、こちらが懸念していた事を数日前に本人が話をしていたという報告を妻から受けた。何やら県外の中学へ進学を希望するスポ少の先輩の影響を受けているようである。
「お父さんに言っても、どうせ反対されるだけだけど・・・。」
「○○○○○○(県外の高校)へ行き、そこで野球がしたい。」
  真っ向から反対はしないが、「もっと現実を見よ」とは言うだろう。小学校残り1年、中学校3年の過程を抜きに何故、直ぐ高校選択の話になる。夢を持つのは自由だが、現状と大きくかけ離れた夢はあまり持つものではないだろう。この先にある4年という過程へ経て、それなりの実力があり、其処でやっていく自信、競争に耐え得る精神力を持っているようならどれだけでも応援する。その前に自分は如何すべきかという将来に向けたビジョンを自身の力で描き、実践する事が出来るようにならないと駄目だろう。
 しかし、4年先なんていうものは、恐らく本当にあっという間に訪れるのだろう。4年後も同じように努力を続け、同じような気持ちを持ち続けていたとしたら、親としては嬉しい限りであるが、反面、恐怖でもある。応援は本当にしてやりたいが、恐らく財力が続かない。困ったものである。