• 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分-広島にウラン原爆投下
  • 1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分-長崎にプルトニウム原爆投下

 僅か一発の兵器により広島は約14万人、長崎は約15万人の方々が亡くなったとされている。人類史上類を見ない多大な犠牲を払った広島、長崎への原爆投下から64年が経過する。本日6日、広島市平和記念公園では、平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が行われ、原爆死没者の遺族や首相、市民ら約5万人が参列したとのことである。
 先日、アメリカで行われた某調査の結果を目にする機会があった。調査報告によると、アメリカ人の61%が「原爆投下は正しかった」と考えているとのことである。逆に原爆投下を支持しない人は僅か22%で、アメリカでは依然、原爆投下を肯定する意見が根強いようである。
 歴史は戦勝国が作るもの。国家による情報の刷り込みを幾重にも行った成果であり、当然と言えば当然の結果かと思われる。湾岸戦争から9.11テロ迄の流れを見ての想像に過ぎないが、原爆投下には以下のような思惑があったのではないかと考えている。旧ソ連に対する圧力と実験という目的を隠す為、敢えて日本を「悪」とし、原爆投下を正当化することに成功。「正義」という連帯感を持たせることで罪悪感を消去し、当時の政権は長期安定へ・・・。
 如何な思惑が根底にあったとしても、原爆の使用は許されるものではない。一般市民を標的にする行為はテロと同じ行為ではないのか。テロを否定し、原爆投下を肯定するというアメリカのアイデンティティーが今一つ理解できない。ついでに言えば、あり得ないと言われる虐殺をネタに「人道に対する罪」を追及され続けている日本があるという側面も理解できない。自国の正義を正当化させる為の教育を繰り返し行えば、過ちも捏造もやがて正当化される。逆に、我国のように戦争をした日本が全て悪いという教育を受け続けると、戦争に至った過程等は関係なく戦争に関連する全てが悪くなる。そう考えると教育というものが如何に重要かを痛感する。
 核なき世界を今更ながらに米大統領が提唱しているようだが、原爆投下を肯定する人間が半数以上いるようでは、それも叶わぬ理念となるのではないだろうか・・・。
 平和への願いを書こうと思っていたが、話が横に逸れてしまった・・・。