8月末の衆院選に向け、各党の動きが益々活発化しているようである。視聴率、売上増による収益を求め、わざと解散を煽ったのかと思いたくなるぐらい、メディアは挙って色めき立ち、選挙関連の報道を行っている。明日頃までには投票の指標ともなるべく「マニフェスト」も、各党出揃うようで、内容をよく吟味し、自分の考えに近い候補者ないし政党に投票せよとコメンテーター等は喋っているが・・・。
 無知な自分は、この「マニフェスト」という言葉に、どのような意味があるのか、正直よく知らない。その為、それを判断するポイントが何処にあるのかもよく分からない。「政権公約であり、各党が政権を担ったらこの政策を実施する、と国民に約束するもの」という程度の安易な解釈は出来るが、安易な解釈こそが間違った判断をしそうで怖い。
 そこで「マニフェスト」を調べてみた。そうすると、「数値・期限・段取り」等という言葉が要件として概ね挙がってくる。上述した解釈と合わせれば、社会設計の工程を示し、国民に約束するものという解釈ができるようである。各分野それぞれにテーマを絞り、目標、達成基準、達成時期を分かりやすいよう国民に指し示すものが、各政党が打ち出すマニフェストとなるようだ。工程というと経営的な印象が強く、政治というものに結び付けるとなると何となく違和感を感じる。それは別として、工程という考えが「マニフェスト」要件の根底にあるならば、打ち出した政策がPlan→Do→Check→Actというサイクルに則って動けるものであるかどうかが「マニフェスト」の良し悪しを判断する一つの判断指標になるのかもしれない。そこにおいて重要視される事は、今の現状ではなく、将来の(日本の)姿であると考えられる。
 ならば、今いわれる「マニフェスト」等のように、選挙戦を有利に戦う為のイメージ戦略に活用されるマニフェストなんて「マニフェスト」とは言えないではないか。聞こえの良い政策ばかりをチラつかせ、政党選択の判断を迷わせる事は、詐欺と同じで、存在しないほうがよいのかもしれない。
 政策の具体性、実現性を欠いたマニフェストなるものを提示した政党から消去していこうかと考えている。