国立教育政策研究所の追跡調査で、小中学生の約8割が仲間外れや陰口等のいじめをしたり、されたりした経験がある事が分かったとのこと。こうした実態を踏まえ、同研究所は教員にいじめへの理解を深めてもらおうと、校内研修用の手引きを作成したようである。
 手引きの作成は良いが、それで何が変わるのだろうか。これは個人の見解であるが、いじめは自己の主観による部分もあるのでその判断が難しいと考えている。第三者から見れば明らかにいじめと思われる行為であっても、やっている側、場合によってはされている側もただの遊びであって、いじめをしている、或いはいじめを受けているという自覚がなかったりすることもある。逆に、第三者が見て遊びだと思われるような行為であっても、受ける側にとってはとても深刻な問題であったりする事もある。自己の主観が絡み定義付けが難しい行為であるが故に、どのような手を尽くしたとしても、いじめがなくなる事はないと思っている。
 それに加え、これだけ複雑な社会になれば尚更の事。生活環境や人格形成の過程も本当に複雑多様である。恐らく、いじめが起こるメカニズムも一昔前のように(例えば容姿や学力等の)単純な事ではなく、複雑で細かい部分が原因であったりすることもあるのではないか。そうなると教師一人では、実態を計り知ることも、実態に対処することも出来ないだろう。手引き云々の効果より、きちっとした相談窓口を設置し、ちゃんと話を聞く体制。然るべき時に関係機関と連携を図れる体制がある方が効果的なのではないだろうか。
 悪質ないじめは論外だが、ある意味、仲間外れや蔭口等を其々が経験しながら、世の渡り方を学ぶ部分もあるのではないかと思う。手引きの作成により、いじめに対する理解を促し、未然に防止することが出来ればという姿勢は理解できる。しかし定義がはっきりしていない以上、自己解決が可能なものでさえ、第三者(教師)が介入してしまうという恐れもある。自己解決が可能なレベルのものも全ていじめと捉え、第三者による排除という方向に世間が向いていくなら、極論だが自由主義社会における個人間の競争もやがて排除の方向に向いていってしまう気がする。物事を自己で解決する能力がなくなり、いじめ被害→自殺という短絡的行動に出る子が益々増加するような印象を受けるのは、自分だけだろうか。
 いろいろ考えていくと、子供の問題ではあるが、大人の問題でもある様に思われる。