昨日23日、我が人生において37回目の誕生日を無事に迎えることが出来た。35歳を越えたあたりから回復力が急激に衰えたような気がする。日頃より、運動をしているので、多少ハードな運動であっても体は未だ動く。しかし、動かした後に体調が元に戻るまで2〜3日掛かる。阪神の金本・下柳、横浜の工藤等々、40歳を越えても現役のプロ野球選手でいられる方々は、本当にすごいと感心する。
 これ以上、歳は取りたくないし、家族から祝いの言葉も特別なかった為、誕生日の事は此処までとする。昨日23日は、沖縄諸島に上陸した米軍と日本軍との間で行われた地上戦が終了した日である。これは民間人を巻き込んだ日本国内での最大規模の地上戦であり、約3ヶ月で全戦没者が20〜24万人とされる程、多くの犠牲者を出した激戦であったとされている。沖縄戦から64年の「慰霊の日」を迎え、糸満市摩文仁平和祈念公園で行われた「沖縄全戦没者追悼式」には、多くの方々が参列し、犠牲者の冥福を祈り、平和を誓ったとのことである。
 広島・長崎への原爆投下の日、終戦記念日等、このような日が来る度、恒久平和を強く望む。これだけ多くの犠牲者と甚大な被害の上に今の社会が成り立っている事を思えば、我が国において恒久平和を望まぬ者など先ずいないだろう。しかし、悲しい事に内部紛争を含め争い事がなくなったという話を聞くことはない。言語による相互理解が上手く図られず、結果として、武力による解決を図ろうとする。人間が人間である以上、戦争がなくなることは恐らくないだろう。
 他国に向けてミサイルを飛ばす国、毎年着々と軍事拡充を進めている国、領海領空侵犯を平気で行う国、残念ながら日本の周辺諸国には、我が国にある恒久平和の願いを何とも思わない国が幾つかある。アジアのパワーバランスが崩れ、もはや恒久平和の理念を追求していくだけでは国家が保持できるとは思えなくなった。国家が体を為すためには、相応の力も必要かと。現代の世において、恒久平和を願えば願う程、それとは相対する力の必要性が必然と見えてくる。
 戦争の犠牲となった方々が、望んだ国家の姿とは、一体どういったものなのか。所詮、戦後生まれの自分達には、決して分からないものなのだろう。