何処の局で何と言う番組かは知らないが、一般の人に今怒っていることをテレビで喋ってもらい、その内容に同意できるかどうかということをテーマに進行していく番組があるようだ。
 年をとった分だけ対応力や柔軟性がなくなったのか、最近このような騒がしいだけのテレビ番組を見ると、必要以上に疲れを感じてしまう。その為、野球中継やどうしても見たいと思う番組がある時以外は、民放を視聴する機会がなくなりつつあった。しかし、昨日は、偶々そのような番組を目にする機会があった。
 長男の自主練に付きあう為、着替えを行う間の僅かな視聴だったが、何かがおかしいと思わせるには、僅かな時間でも十分なものであった。強引な司会者と数人のゲストが内輪だけで盛り上がるという番組の進行についても、結局のところ番組として、何を訴えたいのかが分からない。また、そこで取り上げられるテーマも、おおよその民意とはかけ離れた感のするエゴイズムの強い内容である。その為、テレビの前で個人的な怒りを述べた者が、ある意味、曝しものになっているかのような印象を受けた。最初から最後まで通しで番組を視聴した場合、その番組を見て印象に残るものがあるとすれば、恐らく、同調ではなく不快感だけであろう。
 テレビから得られるものも多くある為、全てを否定する訳ではない。しかし、エゴイズムが強く出た一つの意見に対し、追従や肯定的意見を添えたり、否定的見解を示すゲストに対し、不快と言わんばかりのコメントを司会者が出したりするのは頂けない。司会者は、テレビの影響力を考え、そのような行為が結果として何をもたらすかをよく考えるべきだ。日本社会における「モラルの崩壊」は、そのような番組を長年垂れ流してきたテレビに原因があるのではないかとさえ最近思うようになってきた。