学生に新しいネット端末を使える環境を提供するため、某私立大学では、社会情報学部の全学生に米アップルの携帯電話「iPhone3G」を配布するとのこと。大学独自のメールシステムやグループウエアに対応させ、教材配布や授業の動画視聴、簡単なテストやアンケートの回答、リポート提出にも「iPhone3G」の通信機能を活用する計画があるという。その他、変わった活用方法として、校内の無線通信のアンテナと「iPhone3G」の電話番号などを使って学生個人を識別し、ちゃんと講義の出席しているかどうかの確認をすることも可能であるという。
 これらの活用により、大学側では「数理的素養」「コミュニケーション能力」「論理的思考」「情報の高度な活用」を身につけるための講義を中心とした学習カリキュラムを組み、高度な情報化が進むネット社会に通用するアプリやシステム、ライフスタイルを幅広く提案できる人材の育成を目指すとのこと。
 自分が大学生活を経験した当時の頃と比較し、考えられない次元に現在があるのだということを改めて認識させられる。その反面、アイディアそのものはすごいものだと思うが、このようなものを持たされるということに閉塞感を覚えてしまう。また、講義中にそのような画期的端末で遊んでしまい、結局は(一昔同様)講義を聴講せずにいるのではないかという事も予想される。
 端末導入の結果は、実施後に明らかになることであるが、今一つ確実に言えることがある。端末を活用した「コミュニケーション」に得るものは何もないということである。端末における「コミュニケーション」は、相手に対する思慮、配慮に欠ける傾向がある。また、相手の表情を見ながら言葉の意味を探ろうとする工夫、言葉の強弱から相手が伝えたいことを読み取る工夫もない。感情が入らない唯の文字列に「コミュニケーション」を求めるのは無理がある。
 世の中が便利になるのは結構なことであるが、世の中が便利になっていく代償として、古き良きものを一つずつ捨てていることにもそろそろ気付くべきなのではないかと思う。