昨日、北朝鮮は「人工衛星」打ち上げという名目で長距離弾道ミサイルの発射実験を強行したようである。発射時刻は午前11時30分頃で、発射方向は東上空、発射数は1発とのこと。
 先端部分が仮に「人工衛星」だったとしても、今回の北朝鮮弾道ミサイル実験によって、日本国民の生活がミサイルの脅威に曝されたのは、まぎれもない事実である。一日前の誤報をあれこれ言う変なメディアや変な政党はもう愚かとしか言いようがない。躊躇をして警報を遅らせ大事に至るよりも、万が一に備え確信が持てなくとも報せることの方が大事な場合もあるだろう。こんな事までも政局の具にしようとする政党は、一体何処の国の人なのか。こんな時だからこそ、憲法第9条について、政党を越えた話し合いが必要なのではと言いたい。
 憲法第9条の平和的理念だけで、本当に国民の安全保障が出来るのか・・・。
 自分は別に法律家でもなんでもないが、このような危機において、憲法第9条の在り方に正直上述したような不安を感じた。「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」と言う考え方には、概ね賛成出来る。しかし憲法第9条には、北朝鮮のように恫喝を主な外交手段とし、駆け引きを間違えると戦争を引き起こす恐れのある国に対し、どのようにして国民の生命や財産及び権利を守るのかが明記されていない。安保条約があるからと言われればそれまでだが、今回のアメリカの行動や態度は(安保条約を)信用するに値するようなものであったのか・・・。
 北朝鮮には、現在200〜300基程度のミサイルがあると言われている。核の小型化も後は時間の問題だろう。このような脅威に対し、自力で防衛できる体制の整備や体制の保持を検討すべき時期に来ているような気がする。戦後60年が経過した現代の社会において、世の流れに合ってはいないものを何故必要としなければならないのか。
 憲法第9条にある日本の精神を最大限に活かしていく為には・・・?
 意義のある議論を国会議員に方々やメディアの方々に期待したい。