認知症や知的障害などによって判断力が不十分になった人の財産を管理したり、生活支援を行ったりする成年後見制度の担い手として、親族や専門家以外の一般市民を「市民後見人」として育成し、活用する動きが広がっているという。その背景には、利用者の増加に伴い、後見業務にあたる人が将来的に足りなくなるという危機感があるらしい。
 簡単に成年後見制度の説明をすると、成年後見制度は、精神障害認知症などがあり判断能力が不十分なために、財産管理や契約などの手続きが困難な人を保護し支援する制度である。過去に幾つか必要と思われるケースに出会ったことはあるが、なかなか家族側の理解を得ることが出来ず、その内容が一般の市民の方々には十分に認知されていないということを実感している。このような取り組みが、制度の理解に繋がるのであれば、大いに結構な取り組みであると思う。
 現在、後見人となる者は最高裁判所事務総局家庭局編成年後見事件の概況によれば家族・親族が7割〜8割である。残りは司法書士、弁護士、そして社会福祉士である。僅かだが、法人による後見もあるという。職業後見人においては、概ね財産管理や遺産分割等の法律事務中心と見込まれる場合は司法書士等の法律職が選任され、身上監護を重視すべき事案と裁判所が判断した場合には、社会福祉士等福祉専門職が選任されるといわれている。
 このような取り組みに水を差す訳ではないが、後見人が財産管理をする傍らで本人の財産を侵奪したりする等のケース事例があるのも事実である。高いモラルと倫理感、責任感がないと後見人は務まらない。そのような部分から市民後見人は、どれ程の倫理感を備えることが出来るのか疑問である。余程でない限り、倫理を逸脱するような行為には及ばないだろうと思う。しかし、万が一に備え、後見業務を行う場合には複数の機関で相互に活動をチェックする等の体制整備が必要であろう。
 一つの物事を推し進めようとする際には、複数の制約、ルールが必要となる。成年後見制度の効果的運用を図る為の良い試みであるのに、更に複雑な制約やルールがそこに発生する。モラルや通念を厳格に守ろうとする仕組みの為の仕組みである為、仕方がないのかも知れないが、世の中が複雑になり過ぎて何となく生き難さを感じてしまう。