某新聞にて「老老介護」であった夫婦が人知れずひっそりと亡くなったということが伝えられていた。
 足の悪い妻は寝たきり状態で、男性が介護していたとのこと。警察の調べによると、男性の死因は急性の心疾患であり、男性が亡くなった後、介護を受けられなくなった妻が衰弱死したと推測されるらしい。男性は時々受診していた診療所にて「自分の足が丈夫なうちは、妻の面倒を見続けたい」と話していたという。夫の気持ちも理解できるが、気持ち以外に他に頼れない種々の事情があったのではないかと考えられる。発見者が介護サービスの担当者ではなく、市の職員ということであるので、近くに身寄りがなく、かつ生活保護受給世帯若しくはそれに近い低所得の世帯であったのだろう等と勝手に推測している。
 そのような事を受けてかどうか、昨日、政府は2006年の「骨太の方針」が定めた社会保障費抑制の転換を明言した。近年、社会全般にあった閉塞感は、年金制度の崩壊、医療費抑制政策による受診者自己負担の増額等、高齢社会に突入しているにも拘らず財政の支出削減ありきで福祉を削ってきた事に対する、将来への不安であると考える。そのような意味から、社会保障費の抑制を転換する意向を示したことだけでも大きな事と思われる。
 具体的な策までは、特に明言していないようであるが、社会保障費を有効に活用する為に、政府は先ず、国会議員及び官僚の削減、無駄な天下り受け皿法人の解体を行う等して支出の適正化を図るべきであると言いたい。その上で保険料による財源の確保から税負担(消費税)による財源の確保へシフトチェンジしていくならば、ある程度国民の理解が得られるのではなかろうか。
 早くに手を打ち、社会保障費抑制の転換を図っていれば、上記の老老介護の夫婦は救われたかどうかは分からない。しかし、社会構造がそれぞれの部分で繋がっている事を考えれば、ある時期に社会資源に頼ってみようという気持ちに及んでいたかもしれない。
 孤独死、介護殺人・・・。このようなものが少しでもなくなれば良いと思う。