社会的入院とは・・・。
 医学的観点から入院の必要性が低いにも関わらず、患者や家族の生活上の都合により医療機関に留まっている方々を社会的入院というニュアンスで捉えるのが一般的だろうか。
 医療財政の圧迫、更に長期入院による廃用等、社会的入院が抱える問題は非常に多いというのは周知の通りである。
 これらを是正する為に、患者家族の自己負担を増やし、診療報酬においては段階を付け、挙句の果てに療養病床の削減を掲げた。
 結果、何が改善されたのか・・・。
 社会的入院と言われる方々が少しでも減少したのか・・・。
 医療財政に少し余裕が生じたか・・・。
 三位一体という大義名分のもとに行われた改革も蓋を開ければ、国民に負担や痛みを強いるだけ。結果として現時点で得たものは現場の混乱だけではないだろうか。
 ヒューマンサービスはバリアンスの宝庫である。ルーティンワークばかりでは決して対応することが出来ない。そのようなサービスを先ず財源ありきで誘導しようとしたところに問題がある。役人の視点が、人々の生活ではなく数字でしかないところに問題がある。そして何より財源の使い方、財源の配分の仕方に問題がある。先ずはここを正す事が先だろう。
 少数かも知れないが、病院に入院していることで安堵感を持つ(入院生活を自ら望む)高齢者は事実存在する。消費税等が本来の目的通りに活用されていたならば、このような方々が「社会的入院」という言葉で括られることはなかったのではないか。正直、医療財政を抵抗感なく削減させる為に「社会的入院」というマイナスイメージの言葉を創りだしたのではないかという疑心さえ持っている。